「ねぇ、あなたはどこに向かって歩いているの?」
「僕が行きたい所だよ」

「それはどこにあるの?」
「この箱庭の果て、そう最果てにあるんだ」

「箱庭だなんて!バカみたい!最果てなんてあるものですか」
「まるで世界の全てを見てきたような口ぶりだね」

「この世界が箱庭だなんて!」
「ああ、君。羊の数を数えるだけじゃ、いい夢は見れないんだよ」


2022-09-21

詩、散文、或いは物語

 9月25日、次の日曜日に開催される「第十回 文学フリマ大阪」に今年も出店します。


年に一度、文学というものに携わり、コピーライターではなく作家として人前に出ることのできる貴重な日。第二回から出店参加し、今年で9年目になる。

「詩、散文、或いは物語」をテーマに創作をしているが、最初から詩を書こうとは思っていなかった。書くのであれば小説だろうと思っていたが、物語性を孕んだ詩や散文に行き着いたのは、やはり30代で活動していた「Trigger」があったからだろう。

 アートユニットを結成し、「Trigger」と名づけたのは2011年。当時書いていたブログにはこう記してあった。

【 読んだ人・見た人が何かしらの感情を持つための「きっかけ(トリガー)」。
そして作り手である自分がさらなる変化を起こすための「引き金(トリガー)」。】

結果的に、何かを変えたい、変わりたいと思っていた自分のこめかみに銃口を当てて、まさにトリガーを引いたのだった。そして大きく変わった。

仕事でコピーを書いている自分。企業で取材をしている自分。研修でライティングを教えている自分。飲み屋でアホな話をしている自分。仲間と焚き火を囲んでいる自分。

多分みんなの知っている自分とは全く違う、詩を書いている自分を見てもらえればなと思います。

今年の作品のタイトルは「Midnight Cold Howling」。

作品はまだ、完成していない。

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第八回文学フリマ大阪【入場無料】

2022/09/25(日) 11:00〜17:00

・会場: OMMビル 2F B・Cホール

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2021-09-28

第九回文学フリマを終えて

 昨日は、第九回文学フリマだった。

文学フリマとは、「自分が〈文学〉だと信じるものであれば、基本的にどんな形態のものでも構わない」という自由な形の文学限定同人即売会。2002年から東京で開催されているが、現在は様々な地方でも開催されるようになり、広がりを見せている。大阪では2013年に初めて「第十六回文学フリマin大阪」として開催され、翌年から第二回文学フリマ大阪となり今年で第九回となった。

発起人の一人である大塚英志氏の「文学創作はすべての人に平等に開かれている。決して職業作家だけに与えられた特別なものではない」という考えが好きで、その思いが形になったこの文学フリマというイベントにずっと興味があった。だからこそ、大阪で開催されるときにはとても嬉しかったのを覚えている。

当時活動していたアートユニットの「Trigger」の3人で見に行き、来年は必ず出店しようと決め、第二回に初めて参加した。第四回からはソロで出店するようになり、それも今年で6年目になった。

「作り手としての自分を、人前に晒してみたい」という個人的な思いがあったのだが、実際にやってみると「人の反応をダイレクトに受ける」ということを肌で感じる機会になった。仕事でのライティングとは何か違う・・・。説明が難しいのだが、完全に個人の「詩、散文、或いは物語」を創作して、その世界が他者にどう捉えられているかが伝わってくる。その伝わり方は、数百円だろうがお金を払ってでもこの作品を持って帰って読みたい、手元に置いておきたいと思ってもらえるかどうかである。フリーペーパーであっても自分の作品を「欲しい」と思ってもらえる嬉しさは、心の底から湧き上がる感動でもある。

そして、同じ空間に集う「物書きたち」の想いと作品にも、自分の魂のようなものを揺さぶられている。プロもアマも関係ない。イマジネーションを貪り、文章を吐き出しまくる猛者どもと相対することで、自分も同族なのだと改めて認識させられる。

「自分自身を〈作家〉としてもっと前に出していこう」と決めた2013年4月。当時の僕は、37歳だった。気持ちの上でとても重要なターニングポイントだからこそ、後につけることとなった「37+c」という屋号には、メインコンセプトである「37℃の少し高い体温で書く文章」の裏テーマとして「37歳だった時のあの想い」も込めている。

来年はいよいよ第十回。次は何をアウトプットしていこうかとても楽しみである。 


2020-05-04

心の中にいるオオカミの話

『チェロキー族の老人が孫にこんな話をした。「人の心の中では、いつも二匹のオオカミが争っている。片方のオオカミの名は《不安》、もう一匹のオオカミの名は《希望》だ。そいつらはいつもお互いに食ってやろうとにらみ合っている。もちろんお前の心にもいる」すると、孫がこう尋ねた。「どっちのオオカミが勝つの?」と。老人は孫の目を優しく見つめて「お前が餌をやった方さ」と答えた』

「・・・どうだ?面白い話だろ?」と得意げにしゃべる友人は続けてこう言った。「つまりはさ、自分の心掛け次第ってところなんじゃねえの?」と。俺は、そうか、そうだよなと独りごちながらグラスに残ったぬるいビールを染み干した。区切りがついたのだろう、友人は「便所」と言い残して席を立った。

俺はオオカミの話を頭の中で反芻していた。《不安》と《希望》、確かにこいつらは俺の心の中にもいる。いや、他にもいる。まず《怠惰》がいるな。もしかしたらこのボンクラオオカミに一番餌をやっているかもしれない。《憤怒》もいるし《悲哀》もいる。《快楽》は当然いるとして《依存》にもかなりの餌をやっている。《至福》もいるし《断念》も《敬愛》もいて、ああ《安穏》もいるな。・・・多いな。全員で食い合おうとしているのか。大変だな、こいつらも。

戻ってきて早々に、皿の上のオリーブをプラスチックのピックでつつき出した友人に、自分の中に二匹どころではないたくさんのオオカミがいたことをつぶさに話した。「11匹いる!」と笑った友人は、それもうトーナメントにしたほうがいいよねと言った。

優勝したオオカミに餌をやるのか?いや、多分俺は11匹のオオカミみんなに餌をやるだろう。で、よしよしって撫でてみんなで一緒にぐっすり眠るんだよ。そう言うと、友人は「君らしいね」と微笑んで、ピックに刺さったオリーブをかじったんだ。


【〜現実と虚構の間を歩く〜 37+c 】 

2019-05-06

液体肥料

「ちょっと水やってくるわ」と、中学2年生になる息子が水を入れたペットボトルを手にベランダへ出て行った。キッチンテーブルで仕事の原稿を書いていた僕は手を止めてベランダを覗き込んだ。狭いベランダにいつの間にか小さくて可愛い鉢植えが置いてあった。何やら緑色の葉っぱがちょろんと伸びている。「何それ?大麻?」と声をかけると、彼は笑いながら「違うわ!カブや、カブ。理科の宿題で観察せなあかんねん」と返し、水をチョロチョロと鉢に注いだ。

こういう観察って中学生もやるもんなのか、小学生までと違うのだな。そう独りごちた僕は、彼が明らかに水ではない液体が入った、もう1本のペットボトルを手にしたのに気がついた。なんだあれ?その液体は青色か緑色のようで、午後の光を浴びてなんとも言えない美しい輝きを発していた。「何なん?それ」「ああ、これな、液体肥料。学校でもらってん」

・・・そうか、そんな時代なのか。そらカブもすくすくと育つやろうな。僕が子供の頃は水だけだった。液体肥料なんて言葉も知らなかった。夏休みの宿題で植物の観察をするのも大変で、まずはしっかり育てることに必死だった。小学生だったあの夏も、僕は「ひまわり」が思うように育たないことに悩んでいた。

当時、僕の家族が暮らしていたマンションには共同の屋上があった。とても広い屋上で、住人は植物を育てたり、洗濯物や布団を干したり自由に使っていた。天気のいい日に飼い犬を洗ったりしたこともあった。この屋上で僕は夏休みの宿題であった「ひまわりの観察」をするために、一生懸命ひまわりに水をやっていた。

しかし、僕のひまわりはとてもか細く、高さもない「弱っちい」ひまわりだった。少し離れたスペースで、同級生の浅井くんも同じようにひまわりを育てていたのだが、このひまわりはなんとも見事なひまわりだった、大人の親指よりも太い茎に青々とした葉を広げ、高さは見上げるばかり。花は燦々と輝く太陽のように立派だった。僕は浅井くんのひまわりを見るたびに、完全に負けた気がしていた。それは小学生でありながらも、男として負けたような気分でもあった。

彼のひまわりを横目に小さくため息をつきながらひまわりに水をやっていると、浅井くんも屋上にやってきた。花も咲き、これから種を収穫する段階であったが、僕はずっと気になっていたことを、負けを認めて聞いてみた。「どうやったらそんなデカくひまわり育つん?」と。浅井くんは「そんなんもっと早く聞いてくれたら教えてあげたのにー!これやでー!」と笑いながら、半ズボンと白いブリーフを膝までずり下げ、鉢植えのひまわりに向かって勢いよく放尿した。夏の太陽を反射しながら弧を描くそれは、乾いた鉢植えの土に吸い込まれていった。

その瞬間、浅井くんのひまわりは、グッと背筋を伸ばしたかのように、少し大きくなったように見えた。

夏休みが終わった2学期のある日、大量に収穫されたひまわりの種をクラスの中で得意げに食べる浅井くんを、僕はなんだか複雑な気持ちで眺めていた。

浅井くんが自前の液体肥料を使っていたことを、僕は誰にも話さなかった。おすそ分けでもらった種は、食べないで捨てた。


【〜現実と虚構の間を歩く〜 37+c 】


2019-01-26

散文「37℃の揺らめき」

「37℃の揺らめき」

少しだけ 身体が曖昧だ
少しだけ ソフトフォーカス
少しだけ 存在が希薄
少しだけ 境界線が曖昧

少しだけ 揺らめき

ベッドから出てカーテンの隙間から外を見た。ボタボタと雨が窓をうっている。

床の上に崩れ落ちる私は電球のフィラメント。
天井を眺める私は老人が投げ捨てた杖。
背中に冷たさを感じている私は浮かぶことを知らない深海魚。

汗をかいている。不快な汗をかいている深海魚。見上げた水面には装飾の施された杖が浮かんでいる。フィラメントはずいぶん前に切れている。雨が窓をうっている。ボタボタと。

ゆらり ふらり
ゆるり ふわり

視界に入った時計はもうすぐ9時43分。
4、3、2、1、9時43分。

誰かが来るかもしれない。それは小脇に荷物を抱えた配達人かもしれない。それは私を憐れんでいる友人みたいな人かもしれない。それは拳銃を隠し持ったピザのデリバリーサービスかもしれない。それは私が髪を撫でて微笑んで欲しいといつも思っているあの人かもしれない。あの人がこの部屋の呼び鈴を鳴らすことを私は期待しているのかもしれない。

ゆるゆらり ふらふわり

コップの水を一息に飲んでもう一度水を入れる。シルバーの蛇口に映る私は何だか滑稽。コップを持ったまま目を閉じる。コップから水が溢れている。手が冷たい。気持ちいい。私が満たされている。もう十分。十分なほどに滑稽だわ。

コップの水を一口飲んで残りは全部流した。この水もやがては海に出て深海魚のもとに行くことでしょう。さようなら。この水がどうか彼女の不快な汗を薄めてくれますように。

少しだけ 身体が曖昧だ
少しだけ ソフトフォーカス
少しだけ 存在が希薄
少しだけ 境界線が曖昧

手の中の携帯電話を見つめている。滑稽な深海魚は頭からぶら下がった電球を新しく交換するの。新鮮な水道水で汗も流した。海の底で揺られているから、どうか私に会いにきてよ。配達人のふりをして、小さなサブマリンに乗って、私の好きなピザを抱えて、呼び鈴を鳴らして。そうしたら私はきっと上気した顔でドアを開けるわ。だからあなたは私の髪を優しく撫でて微笑むの。

私 少しだけ 揺らめいてる

いつもより 揺らめいてる

(2014年8月19日執筆 文学フリマにて無料配布した「書きチラシ」を再掲)